インタビュー#1: 網野奈央(編集者、torch press)「仕事の幅を広げていくのは、自然な流れ」
編集者の網野奈央さんが主宰する、torch press。2013年に最初の本を刊行して以来、
数十冊にわたるアートブックや写真集、展覧会カタログなどを制作・出版し、10年目を迎えつつある版元です。
近年では拠点を東京から山梨へと移し活動しています。山梨での生活、今年出版された潮田登久子さんの写真集『マイハズバンド』、
編集という仕事の変わりつつあるあり方などについて、網野さんにお話しいただきました。
東京から山梨へ
── 網野さんは元々、FOILやリトルモアといった出版社でアートブックの編集をしていて、その後独立して、torch pressをつくられた。今年で10周年ですか。
網野: 最初の本はミヤギフトシさんのアーティストブック『new message』で、それを出したのが2013年の12月なので、いま10年目です。
── ほかにも網野さんは、写真雑誌『IMA』に、創刊のときから編集者として併走してもいます。torch pressは網野さんおひとりで営まれていますが、いろいろなお仕事を手掛けながらも手を広げすぎず、独自のバランス感覚を持ってお仕事をされているようにお見受けします。昨年に拠点を東京から山梨へ移されたそうですが、まずはそのお話から聞かせてください。
網野: 新型コロナウイルスの感染拡大の時期に、リモートワークで丸一日家から出ない日が続き、打ち合わせもオンラインでほとんど済むようになってきました。東京にいる意味があまりないんじゃないかなって思いはじめて、周りの友人も移住先を探していたので、一緒に候補を見ているうちに、良い場所が見つかったんです。たまたま良さそうな場所があったから引っ越した感じで、けっこう勢いでしたね。
── 山梨に決めた理由は何だったのですか。
網野: 東京にアクセスしやすいというのもありました。編集の仕事はやはり東京に出る機会が多いので、日帰りで東京に行ける範囲のなかで、見つかった移住先が山梨でした。
── 気持ちの変化や、仕事のしやすさは、どうですか。
網野: 東京にいたころは、特に雑誌の仕事もあり、常に夜中の2時、3時くらいまで仕事をしていました。そういう生活からリズムが変わったというのはあります。不便なこともたくさんありますけど、ゆっくり考える時間ができて、切り替えがしやすくなりました。
東京では、人のネットワークも「アート」「写真」といったジャンルで、それぞれのコミュニティが分かれている感覚でした。でも山梨に来て、もうちょっと自由に考えられるようになった気がします。アートや写真の捉え方も、もっと生活とつながっていくものとして考えられるようになったと思いますね。
いま私の近所にはアートに触れられる機会や、こだわりの本屋さんなどもありません。せっかくなのでこの場所で、アートを広げていく活動をできればいいなと思います。ゆくゆくは本と触れ合える場所をつくれたらいいですね。
展覧会カタログを、長く流通する作品集に
── torch pressの出版企画は、どのように決めるのですか。
網野: torch pressの出版物には大枠で2種類あります。美術館と一緒につくる展覧会カタログと、それ以外のtorch pressの自主企画です。展覧会カタログの場合、仕事の形はいろいろです。美術館から依頼を受けてカタログの制作だけを担う場合もありますし、展覧会の企画段階から一緒に参加することもあります。
── カタログは編集制作だけではなく、流通まで引き受けることが多いのでしょうか。
網野: それが多いですね。個展のカタログについて言うと、作家さんの美術館での個展は、そう何回もあるものでもありません。カタログを美術館で出版して展覧会の会期中に売るだけだと、その後はほとんど流通せず、入手できないものになってしまう。そうならないように流通までtorch pressで引き受けています。個展のカタログの場合は、1冊の作品集としてつくれば、継続的に販売できるものになるので、そういうつくり方をすることが多いです。
グループ展のカタログの場合は、部数はやや少なめに考えます。作品を実際に観ないと良さがわかりにくい展覧会もあるので、書店で本を見て買う方より、会場で展覧会を観て買う方が多いと想定しています。
── 美術展のカタログはすぐに入手困難になってしまうことも多いですから、継続的に買える状態というのは、読者にとってもすごく大きいことですね。
網野: そうですね、500部限定とか1000部限定のものというのは、私自身あんまりつくりたくなくて。もう少し長めのスパンで考えて、海外も含めて流通させたいと考えています。
潮田登久子『マイハズバンド』
── torch pressさんで特に印象的な本が、印刷をライブアートブックスが担当した、潮田登久子さんの写真集『マイハズバンド』(2022年)です。40年前のプリントやネガが発掘されたことをきっかけに、写真集として新たに産声をあげることになった1冊ですが、どのような経緯で制作がスタートしたのでしょうか。
網野: 潮田さんの手元に膨大なネガが見つかって、PGIの高橋朗さんから写真集の打診を受けました。ぜひということで、それをどう編集するかを、デザイナーの須山悠里さんと、高橋さんと相談して。6cm×6cmのフィルムで撮られた写真で1冊、35mmフィルムで撮られた写真で1冊をつくり、2冊組みにするというのは須山さんのアイデアでした。最初は35mmフィルムの写真を入れるか入れないかを話し合っていました。
── スナップっぽく撮られている35mmの写真のほうはソフトカバーの製本、潮田さんの代名詞のような6cm×6cmでドシッと構えて撮られている写真のほうはハードカバーの製本ですね。でも表紙の淡い感じには軽やかさもありますし、クラシックな印象はありつつ、全然古い感じがしない。すごく素敵な写真集が出来上がったなと思っています。
網野: 私自身、すごく良い本ができて嬉しかったんですけど、実際に世に出ると、反響が大きかったですね。元々潮田さんの写真を知っている方だけではなく、若い方や、自分と同じぐらいの世代の方も、良い本だと言ってくれました。たくさんの人が見てくださって、昔の友だちからも連絡が来たりしました。
編集の仕事を続けるには
── 網野さんのように、版元を営みながら、それとは別個に雑誌の編集や執筆の仕事もしている働き方は、珍しいですよね。
網野: 出版社を始める前に、フリーランスの編集者として仕事をしていました。出版社からいただく仕事で、展覧会の図録を編集するとか。
でもそれだけで生計を立てるのは正直大変でした。時間も労力もかかるけど、報酬は仕事が終わらないと払われませんし、編集費もそんなに高くはありませんよね。特に美術系の出版社にはそこまで潤沢な予算もない。「アート系の本は売れない」と言われ、どんどん景気が悪くなり、出版社も大変な時期に入っていました。
そのうえ、自分の企画を出版社に持ち込んでも、予算をどこかから獲得してこないと出版できない状況がありました。それでも頑張って予算を得て、企画を持ち込んだりもしていましたが、作業量に見合う金額は払われないんです。
そうやって仕事をするうちに、どうせ自分で予算を獲得してくるんだったら、自分で版元をつくって出版したほうがいいと思ったのが最初でした。自分のやりたいことを、自分でリスクをとってやることは当然な流れだと思って、出版社を始めました。
── 編集という仕事は、とてもクリエイティブだと思うのですが、次の世代が続けていくためには、いまうかがったような、さまざまなハードルもあるのかなと思います。そのあたりはどう思われますか。
網野: 私もたとえば雑誌の『IMA』の編集をしたり、ほかにアーティストのマネジメントもしたりして、トータルで仕事を成り立たせています。
出版の仕事だけだと、かけた予算を売上で回収するまでに時間がかかってしまいます。1冊写真集をつくれば、数百万円の予算はかかりますし、美術館などから予算が出ない限り、短い時間で回収できるものでもない。ほかの仕事を組み合わせてやっていかないと厳しい状況ではあると思います。いまはtorch pressも出版物が数十タイトルに増えてきたので、過去のタイトルを売りながら次を出す仕組みがやっと出来てきました。
でも一個の仕事にこだわるよりも、仕事の幅を広げていくというのが時代の流れなのかなと思います。デザイナーさんも最近、写真も撮れたり、動画やウェブも制作できたりと、すごくマルチになってきていますよね。ライターさんの中にも、写真も撮れてデザインもできるという人もいますし。そうすると編集者も、編集だけじゃなくて、編集というやり方や考え方を生かしてほかのこともやっていくのは自然な流れなのかなと思います。
潮田登久子『マイハズバンド』
240x190mm/Book1:上製本、122P/Book2:並製本、76P 5,000円+税
発行年|2022 発行|torch press
デザイン|須山悠里 印刷・製本|ライブアートブックス
*本書のご購入はtorch pressのウェブサイトをご覧ください。